泉水谷横手山林道
2017年 05月 15日
1.コース
猿橋-松姫峠-小菅-今川峠-丹波山-泉水谷横手山林道-柳沢峠-丹波山-奥多摩-青梅-拝島 133.8キロ
(ルート)
2. 実施日
2017年5月14日(日)曇り
3.実施者
単独
4.日記
いつものように、猿橋駅近くにあるコンビニエンスで行動食(おにぎり4個+スニッカーズ)を買って、7時15分、スタートした。しっとりした霧雨を肌に感じながら進む。曇天だが、谷の向こう側の山の襞に雲がたなびいていているのが、趣がある。松姫への、もう何度も通って勝手知ったる道。深城ダムまでマイペースで淡々と上がる。8時28分に到達したダムサイトの東屋に座っておにぎりひとつ食べ、厠を借りて、すぐに出発した。
松姫トンネルの手前、峠道へは閉鎖されているが、ゲートの脇を通らせていただく(松姫峠への分岐を表す青看板があるので、廃道にはしないのかしら)。灯りが取り払われ、内部がカーブして中が真っ暗なトンネルを抜けて、1.5車線を上がっていく。枝や石が散らばっていて、動物の糞も落ちているが、車やバイクが絶対に来ない、自転車で上がるのに丁度よいくらいの快適な勾配の坂道。小鳥の鳴き声や、低い声でほっほっほっ、と啼くミミズクの声を聞きながら楽しいヒルクライムだ。人の来ないはずの道から自転車が来るのを見て、一羽の猛禽が悠然と飛び立っていく。中盤のやや急な箇所を過ぎて、山肌に沿って東へ向きに変えたあたりからみえる大菩薩の山並みは、霧で霞んでいる。再び西に転じ、最後のカーブを曲って松姫峠の手前の見晴らしのよい場所に自転車を停めて、霧の間から遥か下に見えるさっき通ってきた道を見る。進んで、9時55分、松姫峠のゲートを潜ってすぐに下り始める。路面が濡れているのでカーブでスリップしないようブレーキを効かせながら下ると霧が晴れ、明るい小菅村に到着した。
ここからしばらく大味な国道区間が続くが、車の往来は少なく、多摩川上流の渓谷の清涼な流れを見ながら、春先よりも色濃くなった緑のなかをゆったり進んだ。尾崎行雄の奥地探索の碑があるところで国道と別れ、三条橋を渡って急坂を詰めるとゲートあり、門の鼻先にボンネットを向けて停めている森林管理らしい車のなかのあんちゃんが胡散臭そうにこちらを見たが、構わず脇を通過した。渓谷の左岸に沿ってしばらく舗装路が続く。ここからが今日のメインイベント、まだ時間も早いのでゆっくり進んだ。崖の上の方にきれいな山桜が咲いている。谷に面した崖の遥か下から絶えず聞こえる渓谷の音を聞きながら何度かカーブを曲ると、パトカーなど数台の車が停められ、警官と数名が屯している。何かいうてくるかと思って横を通ったが、何事もなく通過。やがて舗装が途絶え、地道になる15%くらいに急さを増したので堪らず降りて押した。大きな音の水音と鳥の声以外に気配のない谷から、急に男性が姿を見せたので少し驚いたが、「これからどちらに行かれるのですか」と問われたので「柳沢峠まで行きます」と答えると「??」といった顔をされた。その先、左右の谷が合流したナメ状のところで休憩。地べたに座って、おにぎりをいただいたが、甘いものも欲しくてスニッカーズも食べここでしばらく寛いだ。
高度計を見ると、この林道のピークはまだまだ先のよう(柳沢峠よりも高く上がる)、谷を渡って、向きを変え別の谷筋に沿って上がる。ところどころ舗装も復活したがすぐに地道となり、乗ったり降りて押したりしながら高度を稼いだ。やがて谷を離れ、木々も高原杉に変わってから勾配も緩くなり、ピークは近いと思われたが、登坂終了間際の期待に反して緩い地道が依然続いてだいぶうんざりした。向こうの空から、ときどきヘリコプターの飛ぶ音が聞こえてくる(翌日、丹波山の山岳救助でヘリによる事故があったとニュースがあった)。ようやく新横手山峠到着13時50分。ここも人工によって造られた林道の広場の雰囲気で古道の趣はなく、すぐに通過して下りていった。
私は晩秋訪問だったせいか
積み重なったぬれ落ち葉に難儀しましたが。
ピークは登山口になっていて整備されていましたね。
コース選定にあたっては、としさんの記録(ブログ)も参考にさせていただきました。
予想したとおり、坂が急であったので、半ば押して通ったように思います。
谷があわさる、ナメ状の渓谷の場所は、景色もきれいで一休みするのによい場所でした。
ピークの手前から、ハイキング道を通じて柳沢峠に行けたようですが、自転車連れなので今回は直に国道に降りました。
今川峠、神社横を過ぎた急カーブ辺りから未舗装だった頃に友人達と最初に越えた記憶が蘇りました。
新しくできたトンネルの手前に、青い交通案内の看板があり、そこに松姫峠への針路が示されていましたので、少なくとも当初の段階では廃番にするつもりはなかったのではないかと思われます。それにしても、松姫のトンネルができても小菅と大月を結ぶ交通量は左程増えたようにも見えず、屹度相当なお金をかけた割には、合わない道だなーと思いました。
今川峠の頂上に、丹波山と小菅のかつての対立を越えて仲良くしていこうと書かれた立て札があり、古いむかしは難しいこともあったのだなーと想像しながら通行しました。