1.コース
自宅-橋本-韮尾根-愛川-厚木-清川-半原越-韮尾根-宮ケ瀬-相模湖-橋本-尾根緑道-自宅 130.6キロ
(ルート)https://ridewithgps.com/routes/30482442
2.実施日:2018年1月11日(木)晴れ
3.実施者:単独
4.日記
年末年始出勤の代休日。だが、子どもたちの教室があるので、6時30分までどこかにでかけるようにとのことで、前に行きそびれた韮尾根とオギノパンへ。コースは、みなさんの記録を参考にさせていただきました。
8時30分自宅発。通勤時間の町田街道は混雑している。そういえば、帰りの町田市内の交差点でひやりとした。青信号の交差点を直進すると、対向車線の軽自動車に目線を送ったにも関わらず右折してきてぶつかりそうになったので「怖いっ」と声をあげて膨らんで回避した。振り返るとおばさんのドライバーは行ってしまった。津久井湖の北岸の細道でも、こちらが停めてぎりぎり端に寄っているのを、向こうからきた若い男の車がスピードを落とさず通過し危うく接触しそうになりドキッとして、「徐行せんか、ボケー」と叫んだ。どこに行っても車、車、車。渋滞してストレスはたまるは、体はなまるは、ガソリン代や駐車場代や維持費で金はかかるは、自転車こいで危ない目に合うは、で、禄なことはない。しかも今後自動運転になるというそうするとドライブする楽しみもなくなるではないか。そういう訳で、自身はもう半年くらいマイカーの運転をしていない。地方での役割は否定しないが、交通手段の発達した都会にマイカーは必需品ではないだろう。いったい、朝夕の町田街道など、自転車の方がずっと早く着くのではないか。そんなことにいまの日本の若い人たちが気が付いて、だんだん車を買わなくなってきているという。 さて愚痴は置いといて、古いほうの小倉橋を渡ってから、長竹をアップダウン。途中で左に曲がって、橋を渡り丘の急な坂道を上がる。開けたところを進んで行くと東屋がありその手前を左折するとブログで見た石碑のある場所があった。いったんオギノパンへ。前回この前を通ったとき、開店時間を確認していた。なかで、名物という揚げパンと惣菜パン(チキン竜田揚げパン・エビパン)とコーヒーを買って、先ほどの場所に戻り、土手に座って、コーヒーとパンを食べ幸せなひとときを過ごした。向こうのほうにハイカーひとりいる以外は誰もいないなか、この季節しか味わえないぽかぽか暖かい冬の陽だまりと澄んだ空気をひとり占め。すると、向こうからおばあさんがやってきたので、こんにちはー、と挨拶すると、にっこりとこんにちはと返してくださった。 そういう風にしばらくのんびりしてから、パン工場の通りに戻り、坂を下って中津川沿いを進んだ。途中で幹線を逸れ、集落のなかを進む。庚申塚があり、解説を読むと、石像は神像とも仏像とも未分化な異形像であることが初期の塚であることを示しており、その下に三猿が彫られているという。三猿は、見たり聞いたり言うたりすることが因果応報となりつぎつぎになりゆくいきおひで窮地に追い込まれることがないようにという戒めではないか。庚申塚というから村の共同管理ゆえ、日光のような為政者によるものでなく民衆意識を反映したものであろう。このような前近代の人間観を脱し、近代的な市民社会像を打ち立てることが戦後政治学の出発点というようなことを、むかし講義で受けた覚えがある。実際、会社勤めしていても見ざる言わざる聞かざるの風は、サラリーマンの処世術として脈々と生きているようだ。一方で、いま流行っているという吉野源三郎流に何ごとかをことさら問うことが近代人の不幸の始まり、おまけに資本主義社会の世の中では、常に競争しなくてはいけなくて、言い換えれば他人と比べて自分はどうかという猜疑心・虚栄心・栄達心・嫉妬心の無間地獄から逃れられなくなる。そんな世で、結局、黙って生きる人、何かを成しても偉ぶらない人が一番偉い(逆は、世論を曲げてでもレガシーを残したい政治家、あるものをないと言いくるめる官僚、半可通を売り物にする評論家、〇〇大学出身「インテリ」芸能人ら)など、てんで場違いなことを思いながら自転車を進めた。公民館ではたくさんのお年寄りがゲートボールしている。三増の合戦場を過ぎて細い道を下る。古い床屋さんがある。布団を干しているのが暖かそう。バスターミナルでは運転手さんふたりしゃがむ恰好で煙草をふかしているのが風景に溶け込んでいる。中津川の河岸段丘の急坂を上り下りし、田んぼのなかの道祖神を見て進む。すると、たくさんの雀がびゅびゅっと逃げていった。河原のダートを進んでやや冗長となったが、やがて、246号にぶつかり右折。相模川の歩道を渡った先、清川に向かう交差点の先に吉野家があったので、久しぶりにここの牛丼セットをいただいた。食べすぎとちゃうか。