人気ブログランキング | 話題のタグを見る

2020・会津の夏旅3日間

1. (1日目)六十里越・沼沢湖

(1)コース:小出-六十里越-只見-会津川口-沼沢湖-金山 107キロ

(ルート)https://connect.garmin.com/modern/activity/5407645294

(2)実施日:2020年8月19日(水)晴れ

(3)実施者:単独

(4)日記

2020・会津の夏旅3日間_b0334084_19505907.jpg
 右足の付け根の痛みを治すべく、整形外科に行って貼り薬と飲み薬を処方してもらい、電気治療も受け、今回のツアーに備えて、週末のサイクリングも自重して過ごしたのに、痛みは治まらず、速足や階段上りができない状態が続いた。

 斯様な状態で不安があったが、途中でだめなときは引き返して予約した宿もキャンセルして必要な料金を支払えばよいと痛み止めと湿布とアリナミンを持参して出かけたのであった。

 長津田駅始発。東神奈川駅に到着した横浜線から、接続時間わずかな間に跨線橋を渡って京浜東北線横浜方面に乗り換え。重たい輪行袋を抱えて階段をあがることができないので、渋滞するエスカレーターに並んだ。この接続列車に乗れないと、とくだね切符で予約した東京駅始発の新幹線に乗り遅れるのでだいぶ焦ったが、扉の閉まる直前になんとか間に合うことができた。横浜駅では、トランジット時間3分の間に、3番線ホームから7番線ホームの東海道線に移動しなくてはいけない。ホームにあがる階段についているエスカレーターは下り方向の一列のみ。仕方なく足を引きずるようにして自転車を担ぎあげる。早朝にも関わらず比較的混雑している東海道線に座ることができず、扉のそばに立っていたが、やがてじんじんと痛みが伝わってくる。こんなんで旅立つことができるのであろうかと不安を抱えつつ、東京駅でとき号始発に乗り換え。ほとんど乗客のいない指定席の座席に座ることができてようやく心を落ち着かせることができた。浦佐駅で乗り換え。学生に交じって上越線乗換、2駅先の小出着。あちらのホームに接続する只見線の2両編成の気動車がエンジン音をふかせている。それに乗ってしまえば楽だろうが、今日は新潟と福島の境界を超えることに意義がありそうなので自重。駅の便所で水を補給してから自転車を組み立てて、8時25分只見に向けて自転車を進めた。歩くときは痛みがともなうが、ペダルを漕ぐ分には左程でないから不思議だ。しかし調子に乗るとあとからつけがまわってくるだろうからと、軽い段でそろりそろりと回すようにした。途中のコンビニで行動食買い出し。

 小出から、会津へは、枝折峠を越えて進む道に進むのが恒例なところ、今回は行ったことのないコースをたどってみたいと思い、ひたすら只見線に沿って進むことにしたのであった。はじめ、国道252号線を北東の方角に向けて進む。山に近づくにつれて、だんだん交通量は少なくなっていった。道は、上条駅で東に向かうようになる。線路から気動車の走る音が聞こえたので見ると小出方面に下っていく車両があった。しかし乗客は誰も乗っていないように見える。でも気動車のエンジン音は旅情が感じられていいなと思う。さらに山がちになると、雪国らしく崖沿いの道にスノーシェッドがみられるようになる。大白川という駅を過ぎると、人家もまばらとなりいよいよ六十里越の山道に入る。気温は暑いが、都会のような照り返しが少なく夏のサイクリングだと思えば気にならない程度だ。「六十里」とはいかにもたいそうな地名ではある。実際は九十九折をくりかえしながら緩い坂をゆっくり上っていくので、漕いでみると言葉からくる険路なイメージとはほど遠い。路面も改良されて悪い箇所もなく。思い出したときに車やバイクが通過するくらい。幸いなことに足の痛みも感じられず、ゆっくりしたペースを守りながら着実に高度を稼いだ。何度も何度もヘアピンカーブを曲がって、いくつかのスノーシェッドを通過して、岩稜の山が近づいたころ、その名を冠した最後の雪除けトンネルを通過したそこがピークの隧道の入口であった。到着11時45分。トンネルを潜ってから少しくだったあたりで、眼下に緑色の湖水の田子倉湖が見えた。このダム湖を囲繞する山は緑だが、ところどころ岩肌が露出している箇所がある。奥只見の樹海ラインの山もそんな感じだったことを思い出し、このあたりの山岳地帯の特徴なのであろうかと思いつつ下りについた。

2020・会津の夏旅3日間_b0334084_19514627.jpg
2020・会津の夏旅3日間_b0334084_19521883.jpg
2020・会津の夏旅3日間_b0334084_19525256.jpg
2020・会津の夏旅3日間_b0334084_19532400.jpg
2020・会津の夏旅3日間_b0334084_19535724.jpg
2020・会津の夏旅3日間_b0334084_19543406.jpg
 下った先、ダム湖の水平線に近づいた箇所が田子倉の避難所であった。写しをとってきた古いツーリングマップルでは、ここ六十里越トンネルの只見側出口に臨時駅があるように記しているが、それらしい駅舎は見当たらず少し残念。避難所のなかで行動食のおにぎりを食べようとしたが、なかはむんむんとして暑いので、出入口の階段に腰かけていただいた。気が向いたら、この先の只見の町でそばでも食べようかと思ったものの、たぶん夕食に出るだろうとおむすびで済ました。

2020・会津の夏旅3日間_b0334084_19562395.jpg
2020・会津の夏旅3日間_b0334084_19571071.jpg
 さて一息つけてから、先に進んだ。しばらく湖面に沿ったアップダウンを繰り返すと、ほどなくどこでもある景色のダム前広場に到着。ここにある観光所を目当てにきた数台の車が停められている。その横を自転車で流して、湖面を振り返ったものの特に感慨も催さず、すぐに先に進んだ。ダムの脇の道を下って先に進むともうひとつ小規模なダムがある。そこの坂を上がるともう只見の町中であった。せっかくだからと左折して只見駅のほうに進んでみる。厠を借りて出ると、これまで何度か行きかった若いロードがやってきた。首からぶらさげたカメラをハーネスに固定しているのを見ると彼もツーリストなのであろう。ところどころ止まって写真を撮っているところを抜いたり抜かれたりしながらきた。しかし、こちらから言葉をかけず、向こうから声もかからず、淡々とわかれた。

 只見線は、ここ只見駅から会津川口駅まで、依然として不通・バス代行している。その先、道沿いの古い橋脚の上の線路に夏草が生い茂っているのを見ると、この区間は廃線かとも思われたが、災害があったらしい途中の崖沿いの箇所は重機がいれられ復旧工事中のよう、なのでいずれ全線開通が見込まれるのであろう。開通した暁には、ぜひ全線を乗ってみたいな、飯田線の豊橋から飯田も乗ってみたいな、などと場違いなことを考えながら自転車を漕いだ。ずっと国道を進んだが、只見川沿いでもっと風光明媚な景色を期待したものの、特に会津らしい特徴を見出すこともできず淡々と過ぎ去った。本名室谷林道の橋の工事はここのことかなと見て過ぎるとすぐに会津川口の駅前通りとなった。こういう古い町のメインストリートは旅館や商店があって趣があってよい。

2020・会津の夏旅3日間_b0334084_19581341.jpg
2020・会津の夏旅3日間_b0334084_19585077.jpg
2020・会津の夏旅3日間_b0334084_19591136.jpg
2020・会津の夏旅3日間_b0334084_19594802.jpg
2020・会津の夏旅3日間_b0334084_20002038.jpg
2020・会津の夏旅3日間_b0334084_20010412.jpg
 だが止まらずに先に進む。進んだ先、会津水沼駅の踏切を渡り、カルデラ湖だという沼沢湖へのあがりにつく。工事現場で、休憩で路上に寝ころんでいる工員さん3名が「この暑いのにご苦労なことだ」といいたげにこちらを見ている。その横を会釈して通り過ぎた。今年初めて経験するメマトイをうるさく思いながらも、どうせ上まですぐそこだと思って漕いだが、それなりに距離があって、もう上かと思った先にまだ上に行く道が続いてがっかりする場面が数回。しかし最後に湖面を周回する道路に下りたので、湖面から吹いてくる涼風を感じながらしばらく自転車を流した。ここは水が澄んでいて湖水浴している家族連れもいる。きっと冷たくて気持ちのよいことだろう。興が乗れば一周してもよかったが、もう夕方のよい時間なので、あとはスキー場の入口の民宿まで下りるだけと思って進んだが、予想に反してまた連続する上り坂となってうんざりしてしまった。しかしよく考えると、カルデラは外輪山に囲まれているのが一般だから、そのことに気が付かないほうが悪いのであろう、と思いつつ、うんうん漕ぐうちに下り坂となり、喜んで進んだら、また上がりとなりさらにうんざりした。しかしそこを上がると道はスキー場のなかを九十九に下りていった。どんどん下って、「確か宿は国道近くの上り口にあったと思ったが間違いではないよな、終盤で上り返すのはごめんだ」と一抹の不安を抱きつつ行きついた先が今日の宿舎であった。

2020・会津の夏旅3日間_b0334084_20021584.jpg
2020・会津の夏旅3日間_b0334084_20023928.jpg
2020・会津の夏旅3日間_b0334084_20030229.jpg
2020・会津の夏旅3日間_b0334084_20033394.jpg
 玄関をあがって、上がり框のところで「ごめんください」と呼ぶと、ご主人が「自転車できなさったの?この暑いのにいやいやご苦労様」と会津弁で応対してくださった。でもどこか慌てた風、急いで部屋の準備をしたり風呂の湯を入れたりされたので、もしかして「しょんべん」すると思われていたのかしら。さっそく湯を使わせいただき、他に客はいないからと下着と靴下の洗濯をさせていただく。晩ご飯は旅の楽しみのビール大瓶を、小鉢をつまみにして楽しんだあと、焼き魚をおかずにしてごはん1杯、刺身で2杯、豚かつで3杯、最後に具たくさんの味噌汁2杯で4杯目のおかわりをさせていただいた。そうやっておなかがいっぱいになってから部屋に戻って横になると、強烈な眠気に襲われそのまま翌朝5時まで寝てしまったのであった。


2.(二日目)昭和村・新鳥居峠・新駒止峠・中山トンネル

(1) コース:金山-昭和村-新鳥居峠-界-駒止トンネル-会津田島-会津高原尾瀬口-中山トンネル-耻風 109キロ

(ルート)https://connect.garmin.com/modern/activity/5412696128

(2) 実施日:2020年8月20日(木)晴れ

(3) 実施者:単独

(4) 日記

 翌朝ぐっすり寝たように書いたが、実は足の痛みが気になりつつ床についたのであった。そして夜中何かの拍子に跳び起きると、まるで右足の筋肉がばらばらになったような激しい痛みに襲われた。夢うつつに、昨日怪我をごまかして一日漕いだことのツケが一挙に噴出してこのまま再起不能となり、この先の旅路の中止はおろか、もうしばらく自転車に乗れないのかと痛みを我慢しながら横になった。するうち、再び眠りに落ちたようである。朝目覚めてみると特に痛みはなく、あれは「こむら返り」か何かであったのだろうとひとり合点した。

 例によって、早起きしてご近所を散歩する。そうするのは、もっぱら「自然の呼び声」が聞こえてくるようにするためである。7時からの朝餉を楽しんでいるとサイレンの音が近づいてきて宿舎のすぐ前に停まった。ご主人が「なんだ、なんだ!?あの家は年寄りはいねえはずだけんども」といいつつ外へ駆け出して行かれる。患者は担架に載せられて病院送りされたようである。戻ったご主人に伺うと、運ばれたのは中学生の子供さんだそう。前日の猛暑で具合が悪く、今朝になって症状が出て救急車を呼んだとのこと。「コロナも怖いが、熱中症にも気をつけなくてはいけないですね、お客さんも気をつけてくださいね」といわれたのでお礼をいった。ひそかに暑さには強いほうだと思っているが、油断は禁物だ。実際昨晩足がつったし。快適な一夜を過ごさせていただいたご主人にお礼を言ってから、7時30分過ぎ金山を発つ。

2020・会津の夏旅3日間_b0334084_20044504.jpg
 当初の計画では、400号を南下して、舟畠峠を越えるつもりでいた。しかし宿で伺うと、新しい長いトンネルができたあと旧道はゲートで通れなくなっているという。なので、予定を変更して、昨年の秋に通った新鳥居峠を逆からたどり、旧駒止峠を経て今日の宿に向かうことにした。

 昭和村まで、南会津の集落や民家の佇まいを楽しみながらゆっくりと漕いでいった。さすがに、茅葺屋根の民家はほとんどないものの、日本民家らしい造りの屋根と、縁側や土間のあるらしい屋内の様子は、会津らしい特徴を醸し出しているようだ。それは、人間がそうしているのではなく、雪深い自然がそうさせているのであろう。田舎の床屋さんに味わいがある。道の駅で少し休憩。そのあと、丘を越えて隣町に下りていく。そこは昭和村の大芦というところで、言葉で表すのは難しいがどこか桃源郷の趣のあるところだ。会津らしい大きな民家の間をゆったり進んだ先に、終点のバス停の横の広場に会津バスが留置してある。時刻表を読むとここを出発するのは11時過ぎかのようである。それまで運転手さんはどうしているのであろうか。そして、すぐに鳥居峠に向かわず、集落のなかを分け入ってみたりしながらしばらく村と旅の雰囲気を楽しんだ。

2020・会津の夏旅3日間_b0334084_20050695.jpg
2020・会津の夏旅3日間_b0334084_20054550.jpg
2020・会津の夏旅3日間_b0334084_20095012.jpg
2020・会津の夏旅3日間_b0334084_20102228.jpg
2020・会津の夏旅3日間_b0334084_20105819.jpg
2020・会津の夏旅3日間_b0334084_20111833.jpg
 鳥居峠へ、長い一直線の坂をしばらくじわじわと上がって行った。途中の天狗の湧き水あたりから幅員は狭小となり、1.5車線となる。400番代国道たるゆえんだなと思ううち、渓谷に近づいて、水面から冷気が漂ってきて助かる。少しアップダウンしつつ、再び傾斜を増してつめたところで、駒止高原と鳥居峠の分岐となる。熊が怖いので、素直に鳥居峠へと針路をとった(駒止高原に進めばよかったな)。そこから、峠まではもう目睫の間。途中の眺望のよいところで振り返ると、台形状の兼松山から山裾まで奥会津の緑の森が深々と連なっている。それを印象的に認めてカーブを2度か3度ほど曲がった先が新鳥居峠。新しい車道の峠らしくここはとくに趣もなにもない。記念写真を撮ったらさっさと進んでしまおう。

2020・会津の夏旅3日間_b0334084_20125640.jpg
2020・会津の夏旅3日間_b0334084_20133948.jpg
2020・会津の夏旅3日間_b0334084_20140564.jpg
 289号にクロスする地点までダウンヒルを楽しむ。行きついたところは「界」というところで、地図の注釈によると伊北と伊南の境地点を表すようだ。ここにある日本酒の酒蔵を見てから国道に合流してしばらく南下。ここ伊南はトマトの名産地とて、道端にある露店は一袋300円ほどで販売している。トマトで喉の渇きをいやすと気持ちがいいだろうなあと思いつつ、先を急いだ。というのも、前回ここを訪れたときに、289号との交差点の手前にコンビニエンス(ヤマザキデイリーストア)があることを発見しているから。という訳で、駒止高原でいただくためのおにぎりふたつ購入し、ついでに水も買って一休みしてから、左折して峠上りについた。

2020・会津の夏旅3日間_b0334084_20151361.jpg
 伊南と田島をつなぐ古い街道ではあるが、拡幅された新しい道を自転車で漕ぐにはあまり面白くない。昼前の残暑の太陽に背中を炙られつつ、額から玉の汗を落としながらロー×ローでゆっくり漕いでいった。その横を自動車やモーターバイクが遠慮なしにエンジン音のうなりをあげながら抜いていった。そうしてようやく旧道の分岐に差し掛かると、なんと、通行止めの看板とゲートがあるではないか。しかし「ただ置いただけ」で横はスカスカなので、これは非公然であれば行けるのであろうと踏んで進んで少し上った先、今後は端のスペースまで突っかえ棒で閉ざされた頑丈なバリケードが現れる。ここまで固い意志を示されるとここを突破する気持ちは失せた。なので、これからどうしよう、元に戻って檜枝岐まであがって村の名所めぐりでもするかとの考えも浮かんだが、走り足りないのも何だし、一方の上り口がダメでも別のアプローチは通行可であることはよくあるパターンだとの期待を胸に、いったん新駒止トンネルを越えて田島から駒止峠に向かうことにした。そうして、再び苦労して面白くない車道をあがり、長いトンネルを潜ってから下に下りた先、駒止高原の標識に従って村道を進んだ。その前に、村の郵便局のベンチに座っておにぎりひとつ食べて塩分と水分補給する。高原まで5キロの看板に勇気づけられて進んでいくと、なんとなんと、こちらのほうも通行止めの看板が出ているではないか。そこを過ぎたところで工事現場となる。停められた重機が道をふさぎ、作業員の方が道路工事しておられる。なので、たいへん残念であるがこの時点で上にあがるのは断念。せっかく来たのに残念ではあるが、こうして治してくださっているのであればいずれ通行できるようになるのであろう。お楽しみはそのときまで、と踵を返して元来た道を戻っていった。すると自転車に乗った坊主頭で真っ黒な地元中学生の野球部員が元気に挨拶してくださる。

2020・会津の夏旅3日間_b0334084_20160795.jpg
2020・会津の夏旅3日間_b0334084_20163938.jpg
2020・会津の夏旅3日間_b0334084_20171531.jpg
2020・会津の夏旅3日間_b0334084_20181297.jpg
 そんなわけで再びさっきの郵便局のところに戻って、残りのおにぎりをほおばりつつよい別のコースはないかと思いを巡らせてみたが、ふたたび駒止トンネルに上がってから七ヶ岳林道を通行するのは少しリスキーだし、旧中山峠は廃道となって久しいし、と妙案が思いつかず、しょうがないからいったん会津田島に出て、尾瀬口まで南下したあと、車道の中山峠を越えて内川に向かうしかないなと決めた。
 会津田島へは水田のなかの快走路。国道は集落をバイパスしているので、できるだけなかを通るようにして進む。振り返ると行くことができなかった緑の山並みが青空に映えてまぶしい。田島の手前、橋を渡ってから121号に入る。しばらく野岩鉄道に並行して進んだ。架線から電力の供給を受けているほぼ無人のリバティ号が会津方面に疾走していった。しかし気動車のエンジン音の2両編成のほうが地元の風景にマッチしていいな。

 尾瀬口駅で、ちょっと職場に電話してから、中山トンネルに向けてヒルクライム開始。上り車線と下り車線と別々になっていたトンネルを通過すると、あとは今日の宿舎のある耻風まで落ちていくだけだ。急ぐ必要はない。白い花をつけたそば畑を見つつ、俗化されているとはいえ曲家集落のある前沢に立ち寄りつつ、館岩の入口で田代山林道の看板を見てから(田代山峠から先は通行不可とある)ほどなく宿に到着。案内を乞うと、自転車を収納すべきガレージを案内してくださり助かる(前の宿は、玄関の前室に停めさせていただいた)。ここは南会津町のクーポンが使えるとのことで、宿泊料金2,000円割引、また町内で使える割引券2,000円もくださった(12月20日まで使えるとのことなので、ぜひ次回に持ち越したい)。別棟の風呂を使わせていただいてから、部屋に戻って用事を済ます。ビジネス料金で晩ごはんは定食とのことであったが、品数も十分だし、味もおいしく、最後にそばもいただいたのでたいへん満足だ。食事しながら奥さんに、栃木に抜ける道の様子を聞いてみたが、どうもぴんとこないようだ(田代山は無理ではないか、安ヶ森峠と馬坂峠のことはご存知ないようだ)。そういえば、前回檜枝岐に停まったときも同じ質問をしてみたが、同様な感触であったので、あまり利用されていないのであろうか。

2020・会津の夏旅3日間_b0334084_20194671.jpg
2020・会津の夏旅3日間_b0334084_20203333.jpg
2020・会津の夏旅3日間_b0334084_20205713.jpg
2020・会津の夏旅3日間_b0334084_10133765.jpg
2020・会津の夏旅3日間_b0334084_10134376.jpg
2020・会津の夏旅3日間_b0334084_10134896.jpg

 部屋に戻ってから、今日は暑かったので湧いてくる羽アリに注意といわれて部屋を暗くしたがそのようなことはなかった。冷房はないが、夜間は窓をあけるとちょっと寒いくらい。都会になり涼しい一夜を過ごすことができたのであった。


3.(三日目)再び新鳥居峠・喰丸トンネル・博士峠

(1) コース:内川-界-新鳥居峠-昭和村-喰丸トンネル-博士峠-会津高田-西若松 75キロ

(ルート)https://connect.garmin.com/modern/activity/5420551873

(2) 実施日:2020年8月21日(金)晴れ

(3) 実施者:単独

(4) 日記

 当初の計画では、今日は田代山林道を経て、できれば山王林道(現在通行止)、だめなら大笹牧場を経て日光に至るつもりでいた。田代山がだめでも、馬坂か安ヶ森か、宿で情報をとって行ける道を選ぶつもりでいたが、どうも確信が持てないようだ。

 福島と栃木を結ぶこれら林道情報はインターネットを見ても行けるのか行けないのかいまひとつ判然としない(当局の案内ではむろん通行不可)。どなたか、最新情報を教えていただきたい。

 なので、交通費はかさむが、いつものように、御池まであがって樹海ラインを小出まで漕ぐつもりで昨晩寝た。ところが、朝起きてウェザーニュースを見ると檜枝岐村は11時頃からずっと夜まで降雨とあるではないか。あの山深い奥只見湖を雨のなか進むのは勘弁してほしい。会津若松方面は、降らないと出ているので、途中まで昨日来た道を引き返して、これまで行ったことのない博士峠を通って帰ることに決めた。ちょっと、ついていないなあ。

 奥さんにお礼を行って宿をあとにした。南会津のクーポン券は、昨日寄ったコンビニエンスで500円分使わせていただく。界で右折。ここから只管401号を進む旅となる。昨日、ダーッと下りていった坂を上っていく、しばらくは緩い坂で前のチェーンホイールは中のミドルで十分ではあるが、峠が近づくにつれて体感で10%以上しそうな急こう配が連続するようになる。ここを頑張って重い段のまま漕ぎあがってもよいが、また足の痛みがぶり返すからと、用心してロー×ローにして進むと、額や頬に汗が噴き出してきた。すると、千載一遇のチャンスとばかりメマトイが集っくる。はじめ一匹。すると仲間に呼ばれたのか、次々に寄ってきてうっとうしいことこのうえない。こんな場面のために、忘れずに持ってきたスキンガードを顔にかけたところ、しばらく寄らなくなったが、峠にあがらぬうちにふたたび集ってきた。最後のカーブを曲がると昨日来た新鳥居峠。すぐにじぐざぐと下って、渓谷沿いに道に進むと、川面からひんやりした冷気が漂ってきて助かる。昨日苦労して上った一直線の坂道をノーブレーキで一気にかけ下りた。下った先、大芦のバス停にはやはり会津バスが留置してある。村の床屋さんの前で、奥さんがふたり井戸端会議の花を咲かせておられた。その横を通って、丘に上がってから道を右折。昭和の卵屋さんの前を通り、昭和の森を抜けて下の集落に下って行った。その手前の芸能保存館のところでしばらく休憩。日陰で涼みつつ、クーポンで買ったおにぎりを食べてこれからの上がりに備えた。

2020・会津の夏旅3日間_b0334084_10165894.jpg
2020・会津の夏旅3日間_b0334084_10170461.jpg
2020・会津の夏旅3日間_b0334084_10171055.jpg
2020・会津の夏旅3日間_b0334084_10171487.jpg
2020・会津の夏旅3日間_b0334084_10171885.jpg
 昨年秋のツアーの記憶で、喰丸トンネルへすぐに到着すると思いこんで軽い気持ちで進んでいったが、思いのほか遠く、傾斜も急な箇所があってそれなりに苦労した。だが、八王子の和田峠などと比べると距離も勾配も優しいもので、日当たりを遮るものはなかがむっと暑いスノーシェッドだけとの不便を我慢すれば、楽なものである。上のトンネルは珍しく半ば上り坂であるが、ここはひんやりしてウェットな路面は涼しいので助かる。潜るとすぐに下の集落に入る。前回は柳津へと進んだが、今回は博士峠へと向かう。初めて通る峠路だ。

 村の境を過ぎると「これより先携帯電話不通」との看板が出る。気にせず進んだが、なぜか砂利トラックの往来が多い。何か工事でもやっているのかなとしばらく進むと、峠の下を貫通する長い大規模トンネル工事中とのことで、共同会社には複数の大手ゼネコンの名前が書かれている。そうかここも、今回行くことができなかった、旧道の中山峠・駒止峠・舟鼻峠と同様に、開通すれば廃道の憂き目にあうのであろうか。それにしても、規模といい距離といいかなり大がかりな工事のようだが、失礼だが会津美園と昭和村を結ぶ400番代国道に必要なのであろうか。相場はわからないが、一桁では全く足らないであろう億という金額は誰が払うのか。利用が見込まれる人数で割り算したときに、いったい支出するに引き合うだけの価値はあるのだろうかと考えながら、先に進んだ。

 そういうことで、本当に通れなくなるともったいないし、またいつ来るかわからないので、精々楽しんで上がろうと、勾配はそれほどでもないのに、ギヤを一番軽い段に落として進んでいった。道はブナなどの広葉樹林帯のなかをうねうねと上って行った。木々のおかけで、日に当たらずに上ることができてありがたい。だんだんと上に行くにつれて、樹相が変わり道は明るくなった。すると、ほどなく、思っていたよりあっけなく標高1,070メートルの博士峠に到着。道標はないと思ったが、よく見てみると401号の国道標識のところに、その名を冠してあった。そういう訳でここもそれほどの感慨がわかず、さっさと下りについた。

2020・会津の夏旅3日間_b0334084_10182237.jpg
2020・会津の夏旅3日間_b0334084_10182798.jpg
2020・会津の夏旅3日間_b0334084_10183217.jpg
2020・会津の夏旅3日間_b0334084_10183740.jpg
 昭和村よりも会津美園側のほうが、ヘアピンカーブが多いようだ。自動車は滅多に通らないが、忘れたころに現れるので、カーブのところで膨らまないよう減速しつつ慎重に下った。やがてこちら側のトンネル大規模工事現場に到着。片側通行規制されていて次に青信号に変わるまでに5分以上かかるという。待っていると後ろにダンプがついた。青信号に変わってから「お先にどうぞ」と合図して先行してもらったが、舗装をひっぺがした砂利道からあがる濛々たる砂ほこりをあびながら進んで愉快ではない。やっと工事現場を抜けて舗装が復活してほっとする。

 そこから先、これまた長いトンネルを抜けてようやく人家が現れた。ここは米どころ福島の穀倉地帯のようだ。下りながら来た道を振り返ると、さっき通った博士峠の緑の山並みが田んぼの向こうに連なっている。そうしてずんずん下っていって会津盆地に入る。なぜそうなのかというと、これまで山で感じることのなかった、盆地特有のむっとする暑気を感じたから。町の風景もそれまでの鄙びいた感じからどこにでもあるロードサイドの風景に変わっていく。旅の世界から現実に引き戻されるようだ。だが、会津高田に入ると、街道筋に床屋さんが多くある。人口密度でいうと日本有数の軒数ではないだろうか、などと考えつつ、もしかして会津高田は会津鉄道の駅かと期待したが裏切られ、さらに猛暑のなか東に針路を変えて若松方面に進んだ。

 そうして行きついた先が、西若松駅。ダイヤを見るとあと20分ほどで13時過ぎのリレー号が来るようだが、暑いなか慌ててパッキングするのは嫌なので、次の15時過ぎに乗車することに決めた。なので、ゆっくり自転車をたたんでから、改札の前にデポしたあと、駅前のベニマルで助六寿司と麦茶を買って、空腹を満たし水分を補給した。

 15時05分発の1両の気動車の会津鉄道は、田島で30分着待ってから野岩鉄道に連絡。新藤原で東武線となり、下今市で特急「けごん」に接続した。北千住経由で長津田到着は21時前。いったい誰が会津若松から長津田まで線路をつなげたのであろうか。最後えらく長い列車旅となったが、それなりに飽きることはなかった。まず、西若松で、御年80歳という真っ黒に日焼けした元気なおじいさんが、自転車(クラシックロード)をたたまないで列車に持ち込んできた。そしてマスクもしないで会津弁で俺にどこへ行ったのかと話しかけてきたが、わざわざ孤独な列車旅を楽しみに会津鉄道を選んだので、悪いが通りいっぺんの返事をして座席を移動した。するとおじいさんは、隣にいた田島高校の野球部員の少年をつかまえて、どこの高校の監督がどうの、巨人の戦力や監督がこうのと終点までの1時間車内に響きわたる大声で延々話をしておられる。野球少年も迷惑そうな顔をせず、相手をして立派だが、80歳にもなってあのように1時間以上も講演できるのはある意味才能だし元気な証であろう。

 次に、当年とって初めて乗る会津鉄道だがずっと日光街道を走るのかと思いきや、意外と山のなかを走るのでその風景の変化が飽きなかった。野岩鉄道がそうであることは知っていたが、これは秋に乗るとさぞ紅葉がきれいなことであろうと思った。また、田島の会津鉄道と野岩鉄道の改札で女性の係の人に切符を見せると、何を怪しんだのか「特急は、自転車はつめないですよ」と断言されたので、「いいえ、つめますよ」と返事をした。すると、確認すると奥に引っ込んでから戻ってきて「予約なしでは乗れないですよ」といわれたので、「いいえ、ネット予約済ですよ」(下今市から北千住まで1,000円ちょっと)と答えると、まだ怪訝そうな顔をしておられる。

2020・会津の夏旅3日間_b0334084_10193379.jpg
2020・会津の夏旅3日間_b0334084_10193886.jpg
2020・会津の夏旅3日間_b0334084_10194367.jpg
 さて、そんな風で、2020年残暑の夏旅は、予定したコースを通れないことが多かったものの、都会とは違う会津の素朴な風景や人柄に触れることができたし、3日間だけだがそれなりの距離を走ることができたので、よかったなあ。そして、帰りの車中で、次は、小出を起点・終点に、檜枝岐か南会津で一泊して樹海ラインと六十里越を組み合わせて走るプランを組んでみたいと思ったのである。今年は都合していつも一泊のところ二泊することができた。やっぱり夏の旅はいいですね。一年でベストシーズン。費用はどうしてもかさむが、若いときのようにYHなども活用してより長い旅ができるよう肉体を鍛錬していきたいと思うのである。

 そういえば、出発するときに心配した足の痛みだが、旅路の温泉とサイクリングで、ほぼ治ったのであった。


Commented by INTER8 at 2020-08-23 14:00
こんにちは。
夏の三日間のツーリング、脚の痛みも治ってよかったですね。我々サイクリストは自転車に乗ることで身体がリセットされるようです (^^;
僕のブログの写真の件、はてなブログ側で近日中に対応するそうです。
Commented by paparouh at 2020-08-23 16:29
> INTER8さん
こんにちは。途中で足の痛みがひどくなってリタイヤするのはいやだなあと思って、できるだけ軽い段で漕いだのと、温泉に入って湯のなかでマッサージをしたのが効果があったのでしょうか。出かけるときよりも戻ってからのほうが、痛みは少なくなっています。だがまだ完全に戻った感じはないです。持病にならないよう焦らず治療していきたいと思っています。はてなブログで早く対応してほしいですね。ひとつひとつ右クリックで見るのは結構面倒です。それにしても、エキサイトブログの広告の嵐はなんとかしてほしいです。見てくださっている方はできるだけ広告ブロックを通じて見ていただきたいです。はてなブログに引っ越そうかな?
Commented by とし at 2020-08-23 16:44
夏の会津、縦横に旅されたようですね。会津は国道主体でも車が少なく風景も伸びやかですね。林道はどこも通行がきびしいようで計画もはかどらないのでしかたないです。田代山林道や馬坂峠は登山にも使うので片側は何とか復旧してくれますがサイクリングでは全通しないと困りますとね。
旧道では中山峠、駒止峠は行きましたが舟鼻峠は雪に阻まれました。博士峠もトンネルができれば現在の国道は廃道になることでしょう。雪国は維持も大変だし現住家屋がなければ致し方ないでしょうね。
Commented by paparouh at 2020-08-23 17:49
> としさん
こんばんは。会津はいいですね。これからも折をみて出かけたいところです。としさんたちのように、会津の土地勘がないのですが、このように国道をつぶしていくとだいたいどんな感じかとおおまかにわかってくる感じです。会津と栃木をつなぐ林道のいずれかをパスするのが自分のなかでは積年の課題ですが、今回もかなえることができなくて少々残念ではあります。ここも例によって昨年の19号の被害が出ていることなのでしょう。いつになったら実現できることやら。
おっしゃるように旧道をなくしてトンネルでつながると地元の方にとっては便利なことでしょうね。といいつつ、立派なトンネルができても過疎が止まるのでしょうか。といいつつ、わが横浜市も高度成長以来の旧態然たる箱物行政に頼ってばかりなのでいえたことではないのですが・・・・。
Commented by ぶとぼそ at 2020-08-24 14:43
暑い中お疲れ様でした。
夏の会津と聞いた瞬間、自分が昔行った磐梯山や五色沼周辺の裏磐梯を想像したのですが南会津の旅だったんですね。
こちらは数回行きましたが全て秋でした。高原のような標高の高い地域ですけど、この夏の暑さでは朝晩以外は涼しさもなかった事でしょう。

田子倉駅は数年前に廃止されましたよ。現役時代も道路脇の倉庫のような駅入口だったので気がつかない人が多かったです。
只見線は全線復旧が決まりましたので一安心していましたが、写真を拝見すると着々と復旧工事が進んでいるようですね。
博士峠のトンネルは必要ないでしょう。無駄な工事費ですね。トンネル開通すれば冬季閉鎖も無くなるのでしょうが、元々あの道を使う人なんて殆どいませんしね。私は会津高田側から登りましたが紅葉が綺麗で今でも忘れられない好印象の峠です。
Commented by paparouh at 2020-08-26 00:08
> ぶとぼそさん
こんばんは。会津磐梯山や五色沼あたりは訪れたことがないのです。いずれ訪れてみたいです。昼間は暑かったのですが、こちらのような猛暑といったほどではなかったです。山がちなので、照り返しが少ないためでしょうか。夜は、窓を開け放しで寝たのですが、冷たい風が吹いてきて寒いくらいだったので、窓を閉めました。
只見線の横を走っていて、2両編成の気動車とすれ違いましたが、乗客はほとんどいないように見えました。新潟と会津をつなぐ路線だと、便数も少ないし通学以外なかなか利用する機会もないのでしょうね。でも旅の路線としては魅力的です。秋や冬の車窓からの景色はきれいなことでしょう。今回は、会津から長津田まで鉄道旅をしたので、いつか開通したら乗ってみたいです。
博士峠の、昭和村側も、会津美園側も、トンネル建設のための大規模工事現場と化していて、ゼネコンと下請け・孫請けはさぞ潤っているのだなあと思いました。しかし開通したあとどれだけ利用されるのかおっしゃるように疑問です。山の中にある昭和村は雪に閉ざされないで済むので地元の期待はわかるのですがどうなのでしょうか。箱ものでなく桃源郷である冬の昭和村の魅力を伝えるよいアイディアがあるとよいのですが。
by paparouh | 2020-08-23 10:31 | 福島県会津 | Comments(6)

サイクリングのことを記録していきます。


by ぱぱろう
カレンダー
S M T W T F S
1
2 3 4 5 6 7 8
9 10 11 12 13 14 15
16 17 18 19 20 21 22
23 24 25 26 27 28 29
30