秩父高原牧場・奥武蔵グリーンライン
2022年 04月 10日
1.コース
自宅-町田街道-御殿峠-八王子-谷野街道-高月-羽村-青梅-小沢峠-名栗-山伏峠-横瀬-皆野-釜伏峠-二本木峠-秩父高原牧場-定峰峠-白石峠-大野峠-刈場坂峠-ぶな峠-飯盛峠-傘杉峠-顔振峠-阿寺-北向地蔵-鎌北湖-毛呂山-日高-飯能-金子-福生-拝島-八王子-御殿峠-町田街道-自宅 203キロ
(ルート)https://connect.garmin.com/modern/activity/8610191297
2.実施日:2022年4月9日(土)晴れ
3.実施者:単独
さる事情のため、蟄居の日々を過ごしていたが、ようやく、禁が解けたので、喜んででかけたのであった。
それで、久しぶりに長く走りたいと思って、早起きした(5時起床)のに、自宅を出たのが6時30分前となってしまった。

一日のランの前の一大定例行事がうまくいくかどうかで、できばえが違ってくるようである。それなのに、このところ始末がよくなくて、今日もだめであった。これで4日目であろうか。年をとるにしたがって、いろいろと不具合が出てくるようであるが、ここ半年ほど、あるいは、連日の飲酒をやめたことが原因であろうか。なかなかうまくいかないようだ。
なので、終日お腹がすっきりしないなあと思いつつ漕いできた。
というわけで、遅くなったのを挽回しようと、東青梅のコンビニで行動食の買い出しをした以外は、秩父まで休まずに進んだ。その道の印象であるが、青梅線を渡ってしばらくして、山道に入ると、だんだんによい感じになりますね。民家の佇まいとか、庭先に植えられている木の花とか、とても近くで突然鳴きだす鳥の声とか。ピーッ、ピーッ、ピピョピー、ピピョピー、ピピョピーと一羽鳴いて、合の手が合間に、ピーッ、ピーッと鳴きかわす鳥は、何というのであろうか。いまの季節になると、わが家の近くの裏山からも聞こえるし、実家のまわりがあまり開発されていなかった子供のころもよく聞いた鳴き声。
そんなことだとか、桜は、とくに神社やお寺や小学校の運動場に咲いているのが一番きれいだなあとか、立憲民主党の四人組(?)のポスターの構図は、どこかで見たことのある絵だなあとか、家族のことなど(「俺の息子は、俺と真逆で、イケメンで性格もやさしいし、まったくかわいくていいやつだなあ」と親ばかなことなど)、いろいろ考えながら、漕いでいった。サイクリングは、思索するにも、思考から解放されるにも適したスポーツだと、つくづく思うのだ。
小沢峠を下りて、入間川沿いは、バイパスを通らず、左岸の道を進んだ。途中でまる焼けになった民家の跡。祭壇が備えられているのは、亡くなった方がいるのであろう。水汲み場では、例によって、トランクにたくさんポリタンクを載せたおやじとおばはんが占拠していた。
ふたたび、幹線に合流しても、すぐに脇道にそれて町の生活道路を進んだ。名栗は、山奥の山峡の人里のわりには、もうひとつ情緒が感じられないのは、家々の佇まいが都会とそれほど変わらないからであろうか。天目指峠への道を横に見たあと、大味な道を淡々と漕ぎゆけば、やがて山伏峠への峠路となる。キング10分台、クイーンは12分台との看板を見ても、こちらはツーリスト、タイムトライアルは関係ないよといいわけしつつ、前ミドル39T×後ロー26Tで淡々とまわしつつ進んでいく。それで、これら王侯貴族並みとは到底いかないが、さきほど崖の随分うえのほうに通っていた道にもほどなく到着するから、ヒルクライムを楽しむのに手ごろな道だな。間歇をおいて通行する自動車やバイクの交通量もそれほど多くない。






その山伏峠到着10時50分。記念写真をとってからすぐに下りにかかりつつ、頭のなかは、昼飯のことばかり考えている。というのも、横瀬に悦楽亭という「でか盛」の店があって、そこでチャーハンをいただこうかと迷いつつ進んだのであったのではあるが、今日の本番はこれからなので、ただでさえ便秘で腹痛気味なのをさらに腹を膨らませてはあとに差し障るだろうと、やめておくことにした。しかし、サイクリングのときは、運動による消費カロリーのことを考えると、量を気にしないで食事できるのだから、次は寄りたいな。
そう決めて進むうち、だんだん自動車が渋滞してきたのは仕方がないが、左のスペースを漕ぎたくても、我慢できなくなったオートバイが侵入してしばしば道を塞ぐのは自転車乗りにとって迷惑なことと思いつつ、漕いだ。すると、ふと間近に、でっかい武甲山が控えていることに気付いた。

横瀬で北に針路を越え、丸山林道に行こうかと一瞬思うたが、計画どおりそのまま下の道を進んだ。それで、気付いたのですが、道なりに、札所のお寺があって、そのうちのいくつかにちょっと寄ってみて、とくに京都とちがって、素朴で、まわりの集落に溶け込んだ感じがよいですね。34か所あるとのことで、ルートをひいて自転車でまわるのもよさそうだ。四萬部寺にあるらしい地獄絵図も見てみたい。またその横にある旅籠に泊まってみたい。死とはどういうことなのか、生きている人間の頭では解明できない絶対的な次元というしかない。それでも、魂はほろびないのであろうか。なんてことを考えつつ漕ぎ行けば、サドルと接触する尻と太もものつけ根のところのできものがだんだん痛くなり、用途は違うが効能は変わらないであろうと、携帯している痔のクスリを塗ってごまかそうとした。このように、高尚なことを考えようとしても、実際はこうした俗事の繰り返しで人生はどんどん流れていくもののようである。


さて、一度丘を越えて、しばらく下ったのち、T字路を東に向けて、釜伏峠の道についた。ここは、初見だが、地図のプロフィールマップを見て予想していたとおり、15%以上ありそうな急勾配がしばらく続いてだいぶ難儀した。上衣のチャックを下げてベンチレートしつつ、ハンドルをしっかりと握って、15時くらいのタイミングで踏み込むと同時に、手前にひくと自転車が前に進む。それを繰り返しつつ、押してもよいが、そうすると悔しいからやせ我慢して何度かカーブを曲がって進んで、もがきつつ、ようやく上の集落沿いの道に合流すると、勾配も緩んで楽になった。西に見える美の山の点在する桜を遠目に楽しみながら進んであがるうち、ほどなく峠に到着。



ここにある神社の入口の狛犬の台座に「征露紀念」と勇ましく書いてあるから、日露戦争のときのものであろう。そこから40年たってどういうことになったのか。さらに80年近く過ぎてどうなるのであろう。戦争反対。平和が一番。なのに、テレビも新聞も憎悪をあおり、聞いたこともない学者や識者が登場して補強し、同調圧力のもとどんどんきな臭い方向に傾いていくのであろうか。かつてみた光景にならぬように祈るばかり。核を共有せよなどという奴は戦場に行かず、後ろで命令するだけだろう。


閑話休題、尾根にそって南下していくと、少しアップ&ダウンしつつ、二本木峠へ。だが停まらずに、進むと、ほどなく高原牧場のとば口となり、牧場をまわって、道にあるベンチに座って、おにぎりをいただいて少し休憩。動物広場に下りて、平和な光景をしばらく眺めてから、徐に自転車を進めた。かえって、喉がかわくといけないからと、名物らしいソフトクリームは頼まなかった。




それで、坂を下っていく途中の道端で、サイクリストおふたりがいるのが目に入って慌てて急停車。引き返して「こんにちは」とあいさつしたところ、はじめ俺だと気がつかなかったようであったが、すぐに「あれ、ぱぱろうさん」といわれたひとりが、彼のTさんであった。そういえば、コロナ禍の前の今頃は、ここらへんが彼が行く定番コースであったので、今年も来られたのでお会いできたのであろう。Tさんとたまたまお会いするのはこれで確か4度目か(最初は木賊峠、そのあと、房総、横瀬駅)。もうひとりの方とお話されているところに割って入って近況の話などしてから、またの日の再開を約して今日の日はお別れした。最後にお会いしたのは、記録を見ると2019年4月の御荷鉾だから、3年振り。高地Netの更新もあまりされないので、お元気であろうかと思っていたが、前とぜんぜん変わらない様子でした(逆に、Tさんがわたしの感じがだいぶ変わったとおっしゃったのは、相応に年をとったということなのであろう)。

高原牧場の縁を抜けて、途中にある山上の民家の花々や神社の桜を楽しみつつ、東秩父の林道を経由して、定峰峠に至る。もう2リットルの水が空に近かったので、自販機でスポーツドリンクを求めたかったが、500円玉硬貨が通らずに断念。そういえば、ここも何度か通った場所なのに、この茶屋で足を停めたのは初めてだ。いつもオートバイやロードバイクのみなさんが屯していて近寄り難い場所であった。

そこから、ようやくグリーンロードとなり、白石峠・大野峠を抜けて、刈場坂峠へと進んだが、露骨ではないが地味なアップ&ダウンが続いて結構しんどかった。なので、峠の名前を示した立派な看板をバックに記念写真を撮ったあと、公衆便所を借りてから、そばのスペースで太もものストレッチをしてたまった乳酸を分散させるように努めた。このあたりから見える、北東方面の東秩父の谷間の景色は、いつ見ても広々して、気持ちがよい。


遅れて到着したロードバイカーが近くでたばこを吸いだしたのをきっかけに、サドルにまたがって自転車を南南西に向けて進めた。ここから、顔振峠まで、何か所か上り返しがあるものの、おおむね下り基調なので、自ずとペースもあがる。車もめったにこないし、前半は眺望もひらけていて、サイクリングするのに楽しい道だ。
ということで、快適に飛ばしつつ、平九郎茶屋を過ぎ、今年も行かずしまいであった有名な八徳の桜のことを思い出しながら、山上の阿寺に向かった。そこでも桜を観てから、天文岩まで落ちて、そこから長めの上り坂を、前ミドルのまま淡々と漕いで、北向地蔵。それで、今日はと、片手で木魚をたたきつつ、片手をあわせて、般若心境を唱えてみたのであるが、木魚でリズムをとりながら誦経するのも結構むずかしいね。最後にりんを鳴らしてから、鎌北湖に下りて、湖岸の夕暮れの桜を楽しんでから帰路についたのであった。








進行次第で、東飯能から八高線で輪行してもよいと思ってきたのであるが、今日はしっかり漕いでおきたいと、そのまま金子に向かった。横田基地に向かう16号は車優先でときおり側道への回避を余儀なくされつつ、拝島橋へ至り、途中で食事するのも面倒くさくなって、コンビニで買った卵のサンドイッチとたんぱく質補給の機能性飲料を店前でいただいてから、ふたたび御殿峠を越えて町田街道を漕いでいったのであるが、制限撤廃で20時を過ぎても営業している飲食店や赤ちょうちんの店を見ると、ふらりと寄りたい誘惑にかられます。でも、今日は途中のスーパーで買いものをしてから(漕いでいて、あるブログで、カレーのことが書いてあることを思いだし、無性に食べたくなり、ちょっと高めなレトルトのカレーとらっきょうを購入)、自宅に直帰したのでした。
距離200キロほどですが、あわよくば19時くらいまでに帰宅したいと思っていたものの、自分の脚力だとどうしても21時近くになってしまいますが、仕方ない。でも、前傾姿勢でない、タイヤの太いランドナーは、低速安定性に優れ、かつ立ち上がりは遅いものの車体が重い分、高速でも不安なく巡行できて、しかも疲れないところがメリットであります。
そういうことで、今日はわりあいとしっかり漕ぐことができたし、旅も楽しみ、英気を養うことができた。1週間休養して、また次週からのランに備えることにしよう。お尻のできものの腫れは、大きくなってしまったが、それまでに絆創膏を貼って治すようにしよう。
しばらくブログ更新がないので心配していました。元気そうでなによりです。
秩父を回り込んで奥武蔵グリーンラインを端から端までとは、元気過ぎー。ルートを見ると同じような往復路でも微妙に違う道を通っていて面白いです。戦争に関しては僕も同じ意見です。武器を持った物同士が対峙したら打ち合いになります。近くに住民がいれば巻き添えになります。
平地の桜は散りましたが、山は今が色んな花が咲き乱れて綺麗ですね。
北向地蔵は2週間前に歩いた場所です。ここはグリーンラインの続きのような場所でしたね。
以前もぱぱろうさんが目撃情報出されていましたが再びアナグマと遭遇したんですね!! この辺りには多いのかな!?
我が家庭はタヌキの通り道になっていますが、流石にアナグマはいませんね。私が子供の頃はイタチや野生のうさぎも見たものですが、開発で絶滅してしまったようです。
ようやく朝晩日差しが長くなり、長距離走もしやすくなってきましたね。私もガツンと長距離走りたいのですが、昨日は鎌倉古道を含めて80kmほどで膝の痛みが再発してしまいました(悲)。

